カテゴリ:人生( 300 )

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引き続き司馬遼太郎短篇全集第8巻から。

彰義隊胸算用のなかに、こんなくだりがある。

寺沢新太郎について。

「詩人でもあった。

いや、泰平の世にうまれておれば、

詩人として世に立った若者だろう。

たまたま乱世にぶつかったために、

自分自身を詩の中におこうとした。

新太郎の足は早くなった。

その町寺に、血で書く詩が、待っているはずだ。

彰義隊の歴史はこの日からはじまっている。」

みごとな活写である。

太平の世ならば詩人である主人公が、

乱世では、人生を一遍の詩にして生きる。

詩が人生なのか、人生そのものが詩なのか。

いずれにしても、そこに生き方の美学がある。


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by kitanojomonjin | 2007-05-14 16:57 | 人生 | Comments(0)

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日経の私の履歴書に、映画監督の新藤兼人さんが

連載している。

さすがに、脚本家だけあって、文章が素晴らしい。

きのうは、最初の奥さん久慈孝子が、結核で

亡くなる情景だった。

「鴨川の土手から朝顔の苗を拾って一坪ほどの

庭に植えた。

これを育てて四畳半に寝ている久慈さんに

見せるつもりだった。

久慈さんは、手鏡で朝顔を見て、

これに花が咲く頃には良くなるからと言った。

運命は残酷だ。

効きもしない水薬を毎日大事に飲んで、

次第にやせ細り、八月七日の夜明けに死んだ。

お世話になりましたと言った。

朝顔が一輪咲いた。

白い朝顔が。」

なんという静謐で哀しみにあふれた文章だろう。


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by kitanojomonjin | 2007-05-14 13:55 | 人生 | Comments(0)

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(ブロギニストの散歩道から)

引き続き、司馬遼太郎短篇全集の第8巻を読んでいる。

血なまぐさい新選組の群像の中で、

「沖田総司の恋」は、ほんわかとしてなかなかの好編である。

舞台は、京都清水寺。

ここの音羽の滝で、沖田総司は、ほのかな恋心を

抱いた女性を待ち受ける。

近藤勇が、気を回して沖田の嫁にと先方の親に掛け合う。

そのとき、沖田は言う。

「いや、ちがうんです。

私はただ、あの娘をつまり、

遠目でみているだけでよかったんです。

ーそれを」

言おうとしたが、ことばにならなかった。

相手は、男はんを好いても惚れないといわれる

京女のこと。

その先、どう進展したか分からないが、

こんな淡い恋を京都の清水寺・音羽の滝を舞台に

設定したのは、なかなかにくい演出である。


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by kitanojomonjin | 2007-05-14 10:47 | 人生 | Comments(0)

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(ブロギニストの散歩道から)

今日は、風の強い日である。

なんとなく風雲急を告げる感がある。

司馬遼太郎短篇全集の8巻目を読んでいる。

「逃げの小五郎」が面白い。

長州の桂小五郎は、蛤御門の変の後、

逃げに逃げまくった。

出石町の荒物屋に成りすまして潜んでいた。

次第に気力がなえてきた。

世話になった商人に書いた愚痴めいた手紙が

残っている。

「あの手紙は、一昨日の晩、眠られ申さず故

したため申し候得共、今さら別に申すこともなく、

野に倒れ、山に倒れてもさらさら残念はこれなく、

ただただ、雪の消ゆるをみてもうらやましく、

共に消えたき心地致し候」

後に明治の元勲となった桂もこのときは、ほとほと

こころがうつろだったのだろう。

桂は逃げ延び、この手紙の3年後に明治維新を迎える。

桂はこのとき、31歳。

明治維新は、若者の革命だったことが分かる。


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by kitanojomonjin | 2007-05-11 11:47 | 人生 | Comments(0)

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縄文まんが家のさかいひろこさんから、

「おっぱいがたいへん」という本が贈られてきた。

みずからの乳がん体験をマンガにしたものだ。

具体的に、乳がんと宣告されたとき、

どんな選択肢があるのか。

体験に基づいた具体的な情報も盛り込まれている。

最後に、今の想いが記されている。

「私は、縄文時代をテーマにした大河まんがを

描くことをライフワークと考えていた。

今回乳がんを体験して一番ショックだったのは、

1ページもそのまんがを描かないまま

がん患者になってしまったことだ。

これからは乳がんと縄文を背負って生きて行こう。」

ぜひ元気で、縄文の大河まんがを実現して欲しいものだ。


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by kitanojomonjin | 2007-05-01 14:10 | 人生 | Comments(0)

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「お母さん帰ってきて」というテレビのドキュメンタリーを

見た。

中国の出稼ぎ村の子どもたちの話である。

中国の出稼ぎは半端でない。

両親が都会に働きにいったまま、2年も3年も

戻ってこない。

残された子どもたちは、学校付属の寮で暮らしている。

小学生たちがのきなみ寮に入っている。

日本の出稼ぎなら、盆か正月には帰ってこれるのに、

広大な中国では、帰る旅費もままならず、

極端な例では、2年も3年も両親の顔を見ずに過ごす。

幼い子どもの中には、親に捨てられたと思い、

久しぶりに会った母親にも打ち解けられず、

かたくなな態度をとり続ける子もいる。

そんなこどもたちの春節(中国の旧正月)までを

子どもたちの目からたんたんとドキュメントしている。

どうしてお母さんは、出稼ぎに行ってしまうのだろう。

どうして、お母さんといっしょに暮らせないのだろう。

素朴なつぶやきが、じわじわと響いてくる。


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by kitanojomonjin | 2007-04-17 11:18 | 人生 | Comments(0)

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「さらば、ベルリン」というミステリーを読んだ。

1945年、ポツダム会談の会場の脇の池から

死体があがる。

敗戦直後のベルリンが舞台である。

ベルリン陥落から、ソ連兵による暴行が横行し、

「ベルリンに処女なし」といわれたほどだという。

犠牲者の数・推定10万人以上(30万人という説もある)。

また、陥落寸前のベルリンでは、激しいユダヤ人狩りが行われ、

ユダヤ人と特定するため、ユダヤ人が使われた。

暴行・裏切りが横行する焦土のベルリンで、

それでも信じられる愛はあるのか。

これは、ミステリーでもあり、壮大なラブロマンスでもある。

上下2巻、なかなか読み応えがある。


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by kitanojomonjin | 2007-03-16 21:20 | 人生 | Comments(0)

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先週、桜井浜江さんの訃報を聞いた。

画家の桜井さんは、不思議な絵を書く人だった。

10年あまり、ひたすら壷の絵を描き続けたかと思うと、

次に、岩を描き続ける。

そんな人だった。

生前、何度かお会いしたことがある。

いつも淡々として、気の置けない方だった。

葬式は、三鷹の禅林寺。

ここには、太宰治の墓がある。

桜井さんも生前、太宰と親交があった。

太宰の「饗応夫人」のモデルだという。


桜井さん享年98歳。

なんと太宰と同い年。

いま、太宰が生きていたら98歳か。

なんか変な気分だ。

太宰は永遠に、歳をとらないイメージがある。


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by kitanojomonjin | 2007-02-16 12:18 | 人生 | Comments(1)

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(ブロギニストの散歩道から)

先日このブログで触れた恩師の死。(2月2日付け)

2月16日にわれわれで、先生を囲むささやかな

ゼミ会が予定されていた。

飲むばかりだとなんなので、先生にスピーチを

していただくことになっていた。

準備のいい先生のこと、いち早く幹事にレジメを

送っていた。

政治学者内田満のまぼろしのスピーチのレジメ。

それは、次のようなものだった。

「誤訳と誤解と曲解の中のデモクラシー論」

その中に、たとえば、

public officialは「公務員」か

とか

local self-governmentと「地方自治」との間

とか

democracyは「民主主義」か

とか興味深い項目がある。

先生は最後の最後まで、この国の民主主義の

ゆくえを憂えておられた。

それにしても、いまやこのレジメをもとに

先生の肉声を聞くことができないのは、いかにも

寂しい。


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by kitanojomonjin | 2007-02-06 14:38 | 人生 | Comments(2)

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昨夜、訃報は、われわれの間を駆け巡った。

大学時代の恩師・内田満先生が亡くなった。

うそだと思った。

心筋梗塞だという。

突然の死である。

亡くなられる3日前に、お会いした人の話では、

ピンピンして、全くお元気だったという。

その日の朝、奥様が床についていた先生を

見たときはもう手遅れだったという。

77歳。

現代では、早すぎる死である。

先生は、背筋をしゃんとして、いつも正論を言われた。

早稲田の良心だった。

そこに、すっくと立っておられることが、わたしたちの

励みだった。

2月16日に、先生を囲む会が予定されていた。

もう先生にお会いすることはできない。

残念である。

本当に残念である。

また、座標軸となる人に逝かれてしまった。

謹んでご冥福を祈ります。



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by kitanojomonjin | 2007-02-02 20:45 | 人生 | Comments(0)