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太宰治と司馬遼太郎さん 2005年6月12日

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(ブロギニストの散歩道から)

梅雨の季節になった。
一週間後の6月19日は、太宰治の桜桃忌である。
三鷹市の禅林寺の太宰治の墓には多くのフアンが
駆けつけることだろう。

ところで、作家の司馬遼太郎さんほど、太宰治を
評価していた人はいなかった。

1994年、街道をゆくの北のまほろばの取材で、
司馬さんは、青森を訪ねた。
たまたま青森に勤務していたわたしは、ふるさと
青森の案内役を買って出たことがある。

その時、親しく司馬さんのお話を伺うことが出来たのは、
忘れられない思い出である。
司馬さんは、なにしろ座談の名手である。
夜遅くまでお話は尽きなかった。

津軽の旅で、司馬さんが繰り返し話されたのは、
太宰についてであった。

ふつうわれわれは、中高生の時、ハシカのように
太宰を読みふけり一過性で終わってしまう。

しかし、司馬さんの場合、太宰を読み始めたのは、
40代過ぎてからだったという。
しかも凄いのは、太宰治全集を断簡断章にいたるまで
2度読んだという。
その結果、次の結論に達したという。
「太宰治を除いては、日本文学史は語れない」

それは、こういうことであった。
明治以来、二葉亭四迷、夏目漱石などの文学者は
愛も語れば、政治も語れる日本語を生み出すのに
苦労してきた。
その中で、太宰治こそ日本語の柔軟な可能性を
最大限に切り開いた功労者だというのである。

司馬さんのように、いつか太宰治全集を断簡断章に
いたるまで読んでみたいものだ。
当分難しいかもしれないが。


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by kitanojomonjin | 2005-06-10 20:55 | 司馬遼太郎さん