縄文海道学のすすめ1 2005年4月15日

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(北海道・礼文島船泊遺跡・日本人はるかな旅展・図録より)

東アジアの海の道が、広がっていたのは、
中世にとどまらない。
縄文時代もそれに劣らず、海を通じて広い交流が
あったことが、明らかになっている。

わたしたちは、これまで縄文塾と名付けて、講師の
先生を招きお話を伺ってきた。この10年その数50回近くなる。
いつの日かその一端を市民向けの縄文講座に展開できたら
と願っている。名付けて、縄文ドリーム大学。
ひとまず、ブログで、随時紹介していこう。

2000年10月の縄文塾での西本豊弘先生(歴博教授)の
北海道・礼文島の船泊(ふなどまり)遺跡のお話は
とても興味深いものだった。
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礼文島の船泊遺跡は、日本海の北の交易拠点であり、
南は九州、沖縄から、北は、サハリンをはじめロシア極東地域と
交易をしていた可能性が強く浮かびあってきたのである。

遺跡の発掘調査によると、貝玉がおよそ2万点と貝玉を
作るためのメノウ製の錐が、およそ10万個出てきた。
ここは、まさに、縄文のアクセサリー工房だったのである。

まず北を示すものはー
西本先生のお話では、「礼文島では、ロシア極東地域で
出ている貝玉のすべてのタイプがそろっている。
ロシアの貝玉は、礼文島で作られ海を渡っているのでは
ないだろうか。」という。

次に、南を示すものはー
九州や沖縄にしか生息していないイモガイの装飾品が出ている。
このほか、南の暖かい海のマクラガイ、タカラガイも
多数出ている。

これらの各地の貝玉から、縄文時代、日本海に広がる
海の道(海道)の世界が浮かび上がってくる。
なんとロマンあふれる話ではないか。


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by kitanojomonjin | 2005-04-15 19:50 | 縄文ドリーム大学 | Comments(0)