土偶の不思議・何のために? 2005年3月30日
2005年 03月 29日三内丸山遺跡から出土した土偶の数は、これまで
およそ1500点以上にのぼるという。ひとつの遺跡から
これほどまとまって出土する例は、他にないという。
土偶の大きさは、大小いろいろで、口を開けている共通点は
あるが、よく見るとその表情はさまざまである。
[写真提供 NPO法人 三内丸山縄文発信の会)
ここであらためて、土偶は何のために作られたのかという
疑問がわいてくる。それについて、三内丸山の遺跡の
調査をしている小笠原雅行さんが、興味深い意見を述べている。
(「土偶は語る」三内丸山縄文発信の会発行「縄文ファイル」60号所収)
小笠原さんは、三内丸山から出土する土偶を便宜上、
つぎの3つに分けて調査した。
小型(7~8センチ以下)
中型(7~8センチ以上で15~16センチ以下)
大型(15~16センチ以上)
すると、次のことが、わかってきたという。
「長い間作られ続ける土偶は、時期によって模様が
変化していきます。その模様から見ると3種類の
大きさの違いは常にあったようです。ですから、
時期によって大きさが偏ることはありません。」
では、なぜ大きさの違いがあるのだろうか?
「まず、考えられることは、用途の違いです。
祭祀行為の様々な規模の違い(例えば集団用と
個人あるいは家庭用)や内容の違い(ある特定の
祭祀行為に特定の大きさ)などが考えられます。」
さらりと述べているが、実に、意味深な指摘である。
さらに、極めて興味深い指摘が、続く。
「あるいは、地域によって作る大きさがある程度
決まっていて、それが集められたのではないか
ということも考えられます。」
「例えば、北海道から出土する土偶は小さいものが
多く、表現が簡素で三内丸山遺跡の小型の土偶と
似ています。また、分析はまだ途中ですので
決定的なことは言えませんが、土偶の粘土を
調べると、三内丸山以外の粘土で作られたような
ものもあるようです。」
土偶の分布や粘土の分析がすすめば、三内丸山遺跡の
性格がよりはっきりするかもしれない。
つまり」、各地の縄文人が土偶を持ち寄って集まる、
祭祀の場の色合いの強い、 一大センターだった
かもしれないのである。
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