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マイクル・コナリー本の3作目を読んでいる。

ヒエロニムス・ボッシュの「快楽の園」の絵が
重要な鍵になる。

ストーリー展開は別にして、興味深いのは、「快楽の園」の
中のふくろうの意味を探っていくところである。

「ミネルヴァのふくろうは、黄昏に飛び立つ」
と言う言葉がある。
哲学者ヘーゲルの言葉だとか。
知恵の女神の象徴が、ふくろうだとされる。

ところが、ヒエロニムス・ボッシュの「快楽の園」の絵では、
ふくろうの役割は、ちがうらしい。

悪を凝視する存在であったり、悪の象徴で
あったりするらしい。

ボッシュの絵の中には、多数のふくろうが出てくると言う。

随分以前、プラド美術館で、ボッシュの絵の
実物を見たことがあるが、これほどの執念で
人間の堕落・腐敗ぶりを描写するのは、
どんな動機によるのか不思議に思った。

キリスト教の縛りと、合わせ鏡になっているような気がした。

ところで、ふくろうである。
実は、わたしの父は、ふくろうの人形をコレクションにしている。
こんな奥の深いふくろうの意味を承知しているのだろうか。

今度会ったら確かめてみたい。


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by kitanojomonjin | 2006-01-30 20:26 | カルチャー通信 | Comments(0)

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(マイクル・コナリー「チェイシング・リリー」)

マイクル・コナリーの「暗く聖なる夜」を読み終わった後、
見つけたコナリー本が、「チェイシング・リリー」。

主人公の引越し先に、頻繁にかかってくる間違い電話。
いずれもリリーと言う女性宛だった。

リリーは、実は夜の女だった。

インターネットに客を引く電話番号が記されていた。

夜の商売。
その背後にうごめく闇の組織。
それが、インターネットの影の部分とすれば、
インターネットの光の部分も登場する。

主人公は、ナノテクノロジーの科学者である。
ノーベル賞並みの大発見の情報が、インターネットの
不法侵入で盗み出される。

インターネットを媒介にして、企業の実社会と、
闇の世界が連環して、一つのミステリーを形成していく。

ずいぶん昔、エド・マクベインの分署シリーズで、
幼児や女性が、行きずりにあっけなく殺され、
アメリカ社会は、どうしようもないところまで来ていると
思ったことがあった。

最近の日本では、そんなことがちっとも不思議でなくなった。

マイクル・コナリーの「チェイシング・リリー」の
インターネット犯罪の世界も、日本ですぐそこまできている
現実のものなのかもしれない。

ライブドアの捜査の重要な手がかりは、社内のメールだった
と言う話もある。

いやでも応でもわれわれは、インターネット社会に絡め取られ、
そこに特有の犯罪が頭をもたげつつあるのだ。


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by kitanojomonjin | 2006-01-25 21:22 | ブログ論 | Comments(0)

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岩手の桐生さんから、「耳飾り」の図録が、
送られてきた。

先日まで、御所野縄文博物館で開かれていた
展覧会の図録である。

図録の冒頭には、次のように記されている。

「縄文人が多くのアクセサリーをつくり
飾っていたことはあまり知られていません。
縄文時代で最も一般的だった耳飾りを取り上げ、
そのうつりかわりと意味について紹介していきます。」

なぜか、後のハニワの時代になると、耳飾りは
なくなるという。
なぜ縄文時代に、耳飾りは集中するのか。

図録の中で、「耳飾りの謎」と言う記述があった。

縄文時代晩期の関東・中部地方で耳飾りが
大量に出土する遺跡があると言う。

その場合、墓から出ることはまれで、いずれも
建物跡から出土している。

そのことから、次の推理が成り立つと言う。

「特定の建物に村人や周辺から集まる人の
耳飾りを全部保管し、儀式の時に使用し、
終わったら戻すということを繰り返していたものと
思われます。」

また文様のある耳飾りは、まつりなど特別の時に
身につけ、文様のない耳飾りは、ふだんのときに
つけるという見方もあると言う。

いずれにしても、縄文人の耳飾りは、たんなる
アクセサリーとは違う意味を持っていたようだ。

原点にもどって、ひとはナゼ耳飾りをつけるのだろうか。

むずかしい問題だ。

顔と言うものをフレームアップする役目が
ひとつ考えられそうだ。
縄文時代の耳飾りは必ず対で耳に付けられたと言う。
顔の表情を彩る大切な役目をする。

次に、耳そのものをフレームアップしている
ことも考えられる。
天の声や霊的な声が聞こえるように、耳を守るために。

レヴィ・ストロースあたりは、どんな回答を出しているのだろうか。


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by kitanojomonjin | 2006-01-22 18:21 | 縄文 | Comments(0)

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マイクル・コナリーの「暗く聖なる夜」の下巻を
読み終わったところだ。

ミステリーの魅力って何だろうと思う。

ラグビーやバスケットは、成功のスポーツ。
サッカーは、失敗のスポーツと言われる。

ラグビーやバスケットは、どんどん点数が入る。

ところが、何度も何度もトライしてなかなか点数が
入らないのがサッカーである。

ミステリーも、これに習うと、失敗の文学かもしれない。

たくさんの手がかりを追って、行けども行けども
犯人にたどり着かない。

失敗の連続である。

それも、人生。

主人公は、ひたすら手がかりを追う。

失敗の文学といったが、たくさんの手がかりの中から、
一つ犯人につながる手がかりがありさえすれば
解決である。

その過程を生き生き描写しているほうが、
あまり明快な推理よりも最近は好きになった。
このままずっと解決しなくてもいいと思ったりする。

ずっと、解決しない問題、そっちのほうが、
実際の人生に近いような気もする。

ところで、「暗く聖なる夜」について。
内容は、ミステリーファンの仁義として言わないでおくが、
マイクル・コナリーのほかの作品を探しに本屋に
行きたくなった。

しばらくやみつきになりそうである。


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by kitanojomonjin | 2006-01-15 19:52 | カルチャー通信 | Comments(0)

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いいミステリーというのは、おいしいコーヒーのように
味わい深い。

たとえば、ある酔いどれ探偵が、酒のビンを見つめながら、
つぶやく。

「ビンの中に、毒と毒消しの薬がはいっている。」

なかなかにくいせりふである。

ミステリーの場合、謎の展開も大事だが、
なんといっても、その文体が魅力的かどうかが
大切な部分である。

たとえば、今「暗く聖なる夜」(講談社文庫)を読んでいるが、
これがなかなか文体がいい。

定年でリタイアした刑事が、昔の事件を追いかける。

その一節。
「わたしは立ち上がって、窓のところへ歩み寄った。
太陽が空気中にただよっている無数の微粒子に
反射していた。
オレンジ色やピンク色に輝き、美しかった。
それが毒である可能性があるようには見えなかった。」


けだるい感じが、なかなかいい。

久しぶりに上質のミステリーにたどり着いた予感がする。


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by kitanojomonjin | 2006-01-13 17:19 | カルチャー通信 | Comments(0)

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(凍てつく朝・ブロギニストの散歩道から)

去年の暮れ、ラジオで河合隼雄さんが、
夫婦の絆について話していた。

これが、夫婦の機微を突いていて、
なかなか面白かった。

一般に、男性と女性は、互いに異なった性格の人に
引き付けられることが多い。

相手の自分にない性格の部分は、大きな魅力に見える。
かくして、結婚にゴールインする。

ところが、結婚し、しばらくは、男性は仕事に専念し、
女性は子育てに悩殺される。
いい加減子供が成長して、夫婦が向き合った時、
お互いの性格の違いに愕然とする。

ここからが、新たな出発だと、河合さんは言う。

こんなはずじゃなかったと思うのか、
ここから新しくスタートを切ろうとするのか。

河合さんは、流れの中の2本の杭(くい)にたとえる。

2本の杭の間隔が狭ければ、2本の杭に縄をかけやすい。

2本の杭が、離れていると縄をかけるのは苦労する。

しかし、うまく縄がかけられたら、そこに網を張り、
魚がかかって、豊かな実りがあるかもしれない。

永年一緒に居たから、気心が分かっていると思うのは、
錯覚だという。

ある時期から、「流れの中の2本の杭」に縄をかける
作業を夫婦一緒にしなければならないのだと言う。

ふーん。
なるほど。

でも、けっこう男性のほうに、大きな意識革命が
必要かもしれない。


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by kitanojomonjin | 2006-01-11 14:03 | カルチャー通信 | Comments(0)

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(読売新聞夕刊05.12.9)

もうひとつ「東北学の子供たち」の記事を
見つけた。

「津軽学」「会津学」「仙台学」「盛岡学」「村山学」と
5つの東北学の子供たちに続いて、
「最上学」や「庄内学」も準備が進められているとか。

記事の最後は、担当した永井一顕記者の
東北学の子らに対する次のような文章で
締めくくられていた。

「どの子も健やかに育ってほしいと願う。
東北に生をうけた一記者として。」

東北学の子供たちへの熱い応援メッセージである。

今年も、なんとか東北学の子供のひとつ・津軽学を
育てていきたいと思う。


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by kitanojomonjin | 2006-01-07 14:05 | 津軽学 | Comments(0)

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(朝日新聞夕刊05.11.16)

「東北学・各論熱く」と言う見出しで、去年の暮れ
相次いで登場した東北学の子供たちの紹介の記事を
見つけた。

その中で、赤坂憲雄さんのお話が興味深い。

「小さな物語の掘り起こしを願う」と題されている。

「最初僕の中で東北はひとつだった。
それが、「歩く・見る・聞く」ことを繰り返しているうちに
これは違う、現在の東北はもっと多様で、いくつもの
東北があると気づかされた。」

実践的なテーマとして
「地域の語り部を掘り起こすこと、人や情報が集まる
地域文化の活性化の場となること」を挙げている。

赤坂さんの話は、こんな言葉で締めくくられていた。

「こんなこともできるのかと励ましを受け、各地で
これまでとは異なったスタイルの地域誌がたくさん
生まれてくることを願っている。
東北とは限らず、どこでもやれる開かれた運動だと
思っている。」

確かにそうだ。

たまたま今年の年賀状で、沖縄に住む友人は、津軽学に
触発されて沖縄学を立ち上げたいと書いていた。

日本全国に新しいスタイルの地域紙よ、出でよ!


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by kitanojomonjin | 2006-01-07 13:29 | 津軽学 | Comments(0)

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(やまがた村山学)

会津学が、徹底した聞き書きをその骨格と
しているとすれば、同じ東北学の子供でも、
やまがた村山学は、ずいぶんその雰囲気を
異にしている。

基本のキーワードは、「詩的な場所」である。

編集後記の次の一文が分かりやすい。

「村山学は、この地で心豊かに生きることをめざす
人たちの活動記録と言ったらいいだろうか。」

巻頭で、高野公男氏が、「詩的な場所」について
触れている。

もともとドイツのカッセル大学のデトレフイプセン教授らが、
提唱している環境計画の視点だと言う。

その性質として、次の6点を挙げている。

①独自の姿や雰囲気があり、人を引きつける力をもつ。

②「詩的な場所」として識別され、かつ周囲と調和している。

③シンボル性があり、物語が存在し、ファンタジーを感ずる。

④借り物や流行ではなく、過去や未来につながっている。

⑤「詩的な場所」には、真摯に生きる人々の姿がある。

⑥「詩的な場所」は望まれてつくられ、住民の関わりや
 保全活動が見られる。

ここには、会津学とは一味違った「心豊かに生きることを
めざす」というコミュニテー造りへの強い希求がある。

その目線で、「実験住居学」「詩的な場所」「夭折の詩人・
海野秋芳」の3つの特集も貫かれている。

じつに、不思議な本である。


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by kitanojomonjin | 2006-01-03 16:57 | 津軽学 | Comments(0)