<   2005年 08月 ( 19 )   > この月の画像一覧

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(ブロギニストの散歩道から)

もう50年も昔になるだろうか。
弘前の久渡寺に祖母に連れられて初めて行った。
そこで見たのは、イタコの大祭に集まる大勢の
おばあさんたちの姿だった。

そして、もうひとつ、その時、伝・円山応挙の、
寺に伝わる幽霊の掛け軸を見せられた。
もっとも、伝・円山応挙というには、あとで知ったことだが。

掛け軸の絵は、うら若い女性がざんばら髪で立っている。
片手を懐に入れ、ほうけたような表情をして立っていた。
白地の紙に、黒い墨で輪郭が描かれ、それが一層
凄みを増している。

この絵は、普段は公開されていない。
年に一回、大祭の時に公開され、その日は、決まって
雨が降るという言い伝えがあるという。

津軽観音霊場の一番札所であり、津軽イタコの本山である
この久渡寺に、さらに、謎の幽霊画が伝わっているのは
どういうことなのだろう。

この寺に、霊的なものが、あつまる独特の回路があるのだろうか。



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by kitanojomonjin | 2005-08-31 15:55 | 津軽学 | Comments(0)

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(久渡寺・地蔵尊)

津軽観音巡礼一番札所・久渡寺は、弘前の南にある。
このお寺には、忘れられない思い出がある。

今から50年も前になるだろうか。
祖母に連れられて、この寺の大祭に行ったことがある。
山道には、どこから沸いてくるのかと思うほど、大勢の
おばあさんで溢れていた。

実は、この寺は、恐山と並んで、津軽一円のイタコの
本山であった。
大祭の日、イタコたちは、オシラサマをもって、三々五々
集まる。いわゆるオシラ遊びである。
それにあわせて、境内のあちこちで、死者の口寄せが
行われる。

あの大勢の老婆たちは、イタコの大祭の日、死者に
会いに来ていたのだ。
津軽では、死ねばヤマに行くと普通に考えられていた。

一番札所の久渡寺は、生きているものの幸せを祈る
観音巡礼のスタート地点であり、
死者と出会うイタコの拠点でもある。
ふたつの回路をもつ久渡寺こそ民間信仰と仏教が
重層的に重なった典型的な場所なのである。


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by kitanojomonjin | 2005-08-30 19:11 | 津軽学 | Comments(0)

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(津軽観音巡礼 第一番 久渡寺)
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(第二番 清水観音)
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(観音巡礼納経帖)

津軽学のアプローチの手始めとして、今、
津軽観音巡礼三十三ヶ所のことを考えている。

江戸時代に、全国的に観音巡礼のブームがあったらしい。
そもそも西国三十三の観音霊場がはじまりで、その後
鎌倉時代に、坂東三十三ヶ所、室町時代に秩父三十四ヶ所が出来、
あわせて百観音霊場が、勢ぞろいした。
これが、ブームに火をつけたという。

全国各地に、これをまねた観音巡礼コースが誕生する。
津軽地方でも、江戸時代中ごろになって津軽三十三霊場が
整備される。

ところが、津軽観音巡礼のコースが、極めて不自然なところがある
ことに気が付いた。
ふつう一筆書きで、コースが進むのに、津軽の場合は分断されている。

第一番は、弘前の久渡寺。
このあと、岩木山の周辺を時計の反対回りにたどり、日本海側の
深浦の円覚寺が十番になる。

このあと津軽半島の付け根の森田村にジャンプしている。
これは、いったいどういうことなのだろうか。

ひとつの可能性は、一番から十番までとその後では、巡礼の中に
違うメッセージがこめられているような気がする。

もうすこし突っ込んで言うと、一番から十番まで、岩木山の
周りを巡るコースには、岩木山にちなむメッセージが、
こめられているのではあるまいか。

先日、現地を訪ね今それをまとめている最中である。
一ヶ月あまり後に、「津軽学」というかたちの一部として
登場する予定である。
ご期待ください。


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by kitanojomonjin | 2005-08-29 14:39 | 津軽学 | Comments(0)

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三内丸山遺跡では、膨大なクリの花粉が出土している。
このことと、クリのDNAの分析から、三内丸山では、
クリが栽培されていたと考えられている。

さらに、巨大木柱や大型住居の用材は、ほとんどクリが
使われているという。

なぜクリなのだろうか。

クリは、鉄道の線路の枕木に使われるほど硬い木である。
よりによって、なぜクリなのだろうか。

この疑問に見事に答えてくれた本を最近読んだ。
藤森照信さんの「人類と建築の歴史」という本である。

なぜ比較的柔らかいヒノキやをスギをつかわず、硬い
クリだったのか。

それは、いつに、道具によるのだという。
縄文時代の磨製石斧では、クリが最もよく切れたという。
ヒノキやスギの針葉樹は、弾力があって切りにくかった。

後に出てくる鉄器では、全く反対だったという。
鉄器では、ヒノキやスギが最も切りやすく、クリは、
難しかったという。

なるほど、そういうことなのか。
非常に説得力のある話である。

いずれにしても、食用でも、用材としても、クリは、
縄文を代表する植物だったといえる。


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by kitanojomonjin | 2005-08-26 18:37 | 縄文植物を育てよう | Comments(2)

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(ブロギニストの散歩道から)

NPO三内丸山縄文発信の会の機関紙「縄文ファイル」の
一文をベルリン自由大学の助教授パベル・タラソフさんに
お褒めいただいたことは前回ふれた。

じつは、「縄文ファイル」は、毎回決まって英語の抄訳を
入れることにしている。
世界に発信したいという気持ちのあらわれである。
英訳は、ボランティア精神で、多くの人に助けられてきた。

タラソフ助教授の目に留まったのは、その英訳が
優れていたのだと思う。

ちなみにその一文を引用してみよう。

The Sannai-maruyama site from five thousand
years ago shows us people with the wisdom
to live in harmony with nature,curiosity about
the wider world around them, and a strong
spiritual orientation.

They stimulate our imaginations and help open
our minds to the forests and seas.

(五千年前の三内丸山遺跡は、自然と共に生きる知恵と、
幅広い交流の心と、祈りにつつまれた美しい世界を
教えてくれました。

いま、わたしたちは、森への想像力と海の想像力を
奮い立たせて、21世紀の三内丸山の実現をめざします。)

この文章が、毎回「縄文ファイル」の裏表紙に掲載されている。
会の精神をかかげ、ひろく会員を募る文章である。

くりかえしになるが、タラソフ助教授が、
「より良い生活を求める世界中の現代人に対する日本人の
提言だと思う」といっていただいたのは、とてもうれしい。
あわせて、ボランティア精神で英訳を手伝っていただいた方々に
感謝したい。


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by kitanojomonjin | 2005-08-26 13:47 | 縄文 | Comments(0)

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お月見縄文祭のあと、偶然見た新聞で、わたしたちの
NPO三内丸山縄文発信の会の機関紙「縄文ファイル」を
紹介している記事をみつけた。

青森の東奥日報の8月22日の朝刊。
「東アジア新時代」という企画記事で、ベルリン自由大学の
パベル・タラソフ助教授が、「縄文ファイル」の文章を
ほめてくれていた。

「私は2000年に心打たれる文章に出会いました。
それは三内丸山遺跡を紹介する「縄文ファイル」という
小冊子の一文で、
「五千年前の三内丸山は、自然とともに生きる知恵と
幅広い交流の心、祈りに包まれた美しい世界を教えてくれた」
というものです。」

タラソフ助教授は、さらに続ける。
「よりよい生活を求める世界中の現代人に対する日本人の提言だと
思うのです。」

ドイツに帰ってからも、日本を紹介する記事に引用してくれたという。

縄文発信の会のメッセージを的確にうけとめていただいたことに
感謝感謝である。


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by kitanojomonjin | 2005-08-25 10:25 | 縄文 | Comments(2)

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(三内丸山遺跡・森のライトアップ)

三内丸山遺跡で、8月20日に開かれたお月見縄文祭で
印象的だったのは、ワークショップ「縄文の音」だった。

縄文太鼓の宮崎龍美さんの太鼓とイタドリの笛に加えて、
今回はパーカッション・グループ「ファルサ」のメンバーによる
身体を使っての音楽が紹介された。

つまり、手拍子や腿をたたいて出す音である。
参加者全員で手拍子を打っているうちに、大型復元住居の中に、
なにやら縄文の気配が立ち込めてきたから不思議である。

さらに、ヴィオラ奏者の三戸誠さんの話が印象的だった。
音楽には、3つの用途があったという。

「ひとつは、宇宙との交信。
もうひとつは、神との対話。
そして、人との対話。」

縄文時代は、それぞれどのような音楽を奏でていたのだろうか。

この「縄文の音楽」のワークショップも、今年で3回目を向かえ
ますます盛り上がってきた。

眼や耳などの感覚を駆使して、縄文を感じようというこころみは、
新鮮で興味が尽きない。
次回も、楽しみである。

ところで、この日、お月見コンサートのあいだ待っていた月は、
とうとう顔を見せなかった。
ところが、この夜の11時過ぎ、雲間からまん丸な月が出た。

今年の月は、随分恥ずかしがり屋の月である。

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by kitanojomonjin | 2005-08-24 15:16 | 縄文 | Comments(0)

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8月20日の土曜日に、三内丸山遺跡でお月見縄文祭が
あった。
天気予報では、雨だったのに、なんと持ち直して晴れた。
遺跡も、ライトアップして、夜を待つ。

お月見コンサートは、いつもの山上進さんの津軽三味線が
圧巻だった。
何か人生を感じさせる。

ところが、ライトアップに照れたのかコンサートの間、
月は、とうとう顔を出さなかった。(つづく)


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by kitanojomonjin | 2005-08-23 14:49 | 縄文 | Comments(2)

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(ブロギニストの散歩道から)

遠藤玲子さんにお会いしたのは、2004年11月の
縄文塾でのことだった。

お住まいは、千葉県の加曾利貝塚の近く。
加曾利貝塚の出土品とりわけさまざまの表情の
土偶に魅せられた。

しまいには、この土偶を全部作ってやろうと決意した。

ふつうのおばさんが、今や土偶つくりのプロになった。
今、その土偶のほとんどを作り終え、縄文時代の
装身具に挑戦しているという。
現在では、全国の博物館から、レプリカの製作を
依頼されるまでになっているという。

「自称縄文ばばあです。」と自己紹介された表情が、
とても穏やかだった。

遠藤さんは、きっと縄文スローライフの極意を
身に付けられたのだろう。
うらやましい限りである。

さて、わたしも、少しだけ「縄文スローライフ」を味わうため、
20日の三内丸山遺跡のお月見縄文祭に出かけてきます。
詳しくは、いずれこのブログで報告します。


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by kitanojomonjin | 2005-08-18 18:40 | 縄文 | Comments(0)

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(ブロギニストの散歩道から)

それは5年前の縄文塾の会合でのことだった。
メンバーの照井勝也さんから、こんなお話があった。

「こころ縄文人になろうという気持ちでやっています。」

照井さんは、サラリーマンをやめ、以来田舎暮らしを
続けているという。
そのモットーが、「こころ縄文人になろう」だった。

その言葉が、みんなの気持ちの中に心地よく響いた。
それを契機に、その言葉が、わたしたちの合い言葉の
ようになった。

1994年、青森に突然出現した三内丸山遺跡。
その3年後、鹿児島に突然、姿をあらわした上野原遺跡。
この20世紀末の巨大遺跡が、縄文のイメージを
大きく変えた。

「こころ縄文人」という言葉が、わたしたちの気持ちに
フィットした理由は、次のことが考えられる。

まず、「外なる縄文」から「内なる縄文」への発想の転換がある。
縄文の問題は、ゆきつくところ現代に生きる私たち自身の
問題と大きくかかわっているのだ。

次に、「こころ縄文人」は、縄文時代の人間の身の丈で
縄文の問題を見直すことの大切さを訴えているように思う。

20世紀末に出現した縄文遺跡は、現代のわれわれを
引きつけて離さないなにか不思議な魅力がある。

「こころ縄文人」という言葉は、いまだに
新鮮な響きを持っている。

お月見縄文祭に毎年足を運ぶのも、その辺に通じるものが
あるようだ。


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by kitanojomonjin | 2005-08-18 15:49 | 縄文 | Comments(0)