カテゴリ:縄文( 268 )

三内丸山遺跡出土の大型板状土偶から、縄文人の

どんなこころを読み取ることができるのだろうか。

1998年11月大阪の太融寺というお寺で、縄文の集まりが

あった。(縄文塾という集まりで、これまで50回以上

開かれてきた。詳しくは、いずれ)

その時、民俗学者の小松和彦さんは、土偶について、

興味深いお話をされた。

  「三内丸山からいろいろな土偶が出てきますね。
  人間の顔のような、しかし人間の顔ではないような、
  みんな口を開けて、死ぬ直前の叫び声のような
  表情をした、絶叫しているような顔があります。
  ああいうようなものの中に、ひょっとしたら
  私たちの先祖が鬼とよんでいたようなものに
  相当するものがある可能性はあります。
  そういう眼を持ってみていくと、鬼的なもの、
  魔的なもの、まがまがしいものを表現することに
  よって、それから逃れることのできるような、
  そういう祭祀はあったのではないか。
  ですから、土偶が何のために作られていたかを
  見ていくときに、よい神様ばかりではなくて
  悪い神様もいたはずだというまなざしも必要になって
  くるのではないかという気がします。」
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(写真提供 NPO法人 三内丸山縄文発信の会)
国立民族学博物館の小山修三さんは、さらに

興味深い仮説を語ってくれた。

  「私は、土偶は面を被っているという仮説をもって
  おります。縄文時代は、たくさん面が出ているんです。
  三内丸山の土偶の顔を見ても、横から見ると
  角ばった出っ張りが付いているものがあって
  面をかぶっていることがわかります。
  面をかぶれば、何にでも簡単に化けられますからね。」

   
土偶の表情を、生を超越した、生と死のはざまと見るのか

仮面と見るのか意見のわかれるところである。

いずれにしても、そこには、感情のたかまりが頂点に

達した時のほうけたような無表情さえ読み取れる。

その無表情には、能面のように、悪の神の表情も

善の神の表情も併せ持っていたかもしれない。

その際、小松先生の次の発言が、ひとつの示唆を

与えてくれる。

  「採集狩猟民の社会で、シャーマンといわれる
  人たちは、常に病気を治したり、作物だとか
  天候だとかをコントロールするような能力を持ち、
  神々の世界との中で、よい神様と悪い神様とを
  分けていたわけです。おそらくそういうものを
  造形しただろう。」

ひょっとしたら、この土偶の表情は、そうしたシャーマンの

祈祷のときの表情を写し取ったものかもしれない。


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by kitanojomonjin | 2005-03-28 17:20 | 縄文 | Comments(0)

三内丸山遺跡から出土した大型板状土偶。

それから、縄文人のどんなこころを読み取れるのか?

それを考える前に、次の写真をごらんいただきたい。

いずれも三内丸山遺跡から出土した土偶である。
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(NPO法人 三内丸山縄文発信の会発行「縄文ファイル」より)
国立民族学博物館名誉教授小山修三さんは、かつて

「縄文合唱団」といったことがある。言い得て妙である。

「縄文合唱団」という指摘から、2つの特徴が

浮かび上がってくる。

まず、三内丸山出土の土偶は、口をあけているものが多い。

顔は、土偶の大きさによってさまざまだが、いずれも

口をあけているところから、何か通底するものがありそうだ。

もうひとつは、こうして並べてみると、中央の大型板状土偶が

大きさといい、造形のていねいさといい、ひときわ際立っている

ことがわかる。まるで、縄文合唱団のリーダーのようだ。

では、この大型板状土偶の表情は、縄文人のどんな

心を読み取れるのか?それは次回。


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by kitanojomonjin | 2005-03-28 11:32 | 縄文 | Comments(0)

1994年、青森市の三内丸山遺跡から、

高さ32センチの大型板状土偶が出土した。

あれから11年。縄文のことは、どのくらい

解明されたのか。わかったことと同じくらい

不思議も増している気がする。

まあ、そんなに慌てるまい。4000年以上前の

縄文人が、現代人につきつけた質問状と

思って、遺跡や遺物と向き合い、じっくり

考えてみよう。

まずは、板状土偶である。
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(写真提供 NPO法人 三内丸山縄文発信の会)
よく写真をごらんいただきたい。

胸と腹部にある3個のポッチは、乳房とおへそを

表し、女性をかたどっているといわれる。

よくみると、首のところに線が入っている。

実は、この土偶は、首と胴体がはなれて、

別のところから、出土している。

これも、不思議のひとつ。

最も興味深いのは、穴の不思議である。

土偶の口から、垂直に下まで、穴が開いているのだ。

この穴は、なにを意味するのだろう?

もうひとつ穴の不思議。土偶の両方の耳に穴が

あけられている。いったい何のために?

アナ不思議などといわずに、あなたも

写真とにらめっこして考えていただきたい。

縄文人からの質問状は、なかなかてごわい。




      [制限時間3分]








今わかっていることは、おおよそ次の通りである。

<口からの穴の不思議>
   口から入る穴から、現代人の常識では、
   食べ物の入り口から出口という消化器系の
   ルートを連想します。しかし、縄文人が、
   どのように考えていたかはわかりません。
   土偶が、女性を表していることから、
   豊穣につながる子宝の道・産道を表すという
   考えもあります。

<耳の穴の不思議>
   これは、土偶が板状になって、ひとりで立たない
   ことと関連していると見られます。
   つまり、吊り下げるための穴ではないかという
   見方があります。


土偶から、縄文人のどんな気持ちをよみとれるのか?

それは、次回をお楽しみに。

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by kitanojomonjin | 2005-03-25 18:02 | 縄文 | Comments(1)

前回にひき続き、縄文のお月見の話。

1999年に始まった縄文遺跡でのお月見は、

2004年、6回目を迎え、ひときわユニークなものになった。

アフリカの踊り手と太鼓の奏者を招いたのである。
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(NPO法人 三内丸山縄文発信の会発行「縄文ファイル」より)

月の出た遺跡に、アフリカの力強い歌声が響いた。

「きょうは、よき日。祭りが始まる。」

アフリカの語り部の家に伝わる伝統的な歌だという。

歌っているのは、ニャマ・カンテさん。西アフリカのギニア生まれ。

実は、ご主人は、国士舘大学教授の鈴木裕之さん。

鈴木さんは、音楽人類学を専攻しておられ、西アフリカへ

調査に行って出会ったのが、お二人の馴れ初めとか。

今は、娘の沙羅ちゃんといっしょに日本に住んでおられる。

リズムをとっているのは、ジェンベという太鼓とドゥンドゥンという

太鼓。いずれもアフリカの太鼓である。

奏者は、寺崎卓也さん、小川潤一郎さん、そしてセネガル・

ダカールうまれのブバカル・ガイさん。

太鼓のリズムに合わせて、ニャマ・カンテさんが踊りだした。

両手を水平に大きく広げては、正面で何度も打ち合わせる。

足で、大地を強く打ちリズムを取る。首を前後に大きく振ると、

長い髪が弧を描く。身に付けた和服のような衣装と

ダイナミックな動作は、次第に、熱気を帯びてくる。

それは、太古の昔、巫女あるいは、シャーマンが憑依(ひょうい)

していく姿に見えた。

しかも、遺跡に囲まれて、ニャマ・カンテさんは、

なんの違和感もなかった。逆に、実によく溶け込んでいる。

それも無理は、ないかもしれない。

そもそもアフリカは、現生人類ホモサピエンスのふるさと。

ホモサピエンスは、はるかな昔、アフリカを出発して旅に出た。

その旅の到達点の一つが日本列島だった。

このお月見の夜の踊りと太鼓の演奏は、遠くアフリカと

縄文のつながりを実感させてくれるものだった。


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by kitanojomonjin | 2005-03-22 18:27 | 縄文 | Comments(0)

 「21世紀に縄文人のけはいを追い求める夢見るブログ」 

 というキャッチフレーズで、立ち上げたこのブログも、

 3週間が過ぎようとしている。

 これまで、わたしが、縄文人のけはいを最も強く感じた

 体験をご紹介したい。

 それは、縄文の遺跡でのお月見の時だった。

 1999年9月25日夕方5時40分。北の巨大縄文遺跡に、

 十六夜の月は、姿をあらわし、みるみる中天に昇っていった。

 どこで見る月も同じと思われるかもしれないが、

 この月は、違っていた。

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(写真提供 NPO法人 三内丸山縄文発信の会)

そのころ綴った一文を紹介しよう。

  月は、現代の月でも、江戸の月でも、中世の月でも

  なかった。

  やはり、それは、古代の月であり、見方によっては、

  超古代の月なのかもしれない。

  満月の夜、ここに歴史上の人物が集う情景を夢想した。

  民俗学者柳田国男と稀代の博物学者南方熊楠が出会い、

  この地への興味を語り合う。そこに、江戸期ここを

  訪れた菅江真澄の霊が現れ、その想いを語り始める。

  菅江真澄が消えた後、中世の僧西行が乞食姿で

  現れ、もののあわれを語る。

  最後に、巫女の霊が登場し、この地に生きた人々の

  喜びと悲しみを語る。

  月は、中天に昇り、いつしかはらはらと雨が落ちてきて、

  ふとわれに返る。柳田国男も南方熊楠の姿も消えて、

  あとには、秋の虫の音だけが、響いていた。

  月夜の晩には、遺跡に閉じこめられていた、

  いにしえの想いを一瞬解き放つのかもしれない。

  それは、夢幻能十六夜とでもなづけられるべきもので

  あろうか。

いつの日か、この縄文の遺跡で、満月の夜、能の上演を

見てみたいものである。

いずれにしても、1999年に始まったお月見は、毎年続き

去年で6回を数えた。それほど私たちを引きつけて離さない。

今年もおそらくお月見が行われるだろう。その情報は、

この日記でお知らせしたい。

あなたもぜひ縄文の遺跡でのお月見を体験してみませんか。


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by kitanojomonjin | 2005-03-18 14:46 | 縄文 | Comments(0)


  信州の考古学者藤森栄一の「古道」という本に、

  興味深い話が、書かれている。

  彼の学生時代というから、戦前の話である。

  彼は、信州の山で、不思議な集団にであった。

  出会いの瞬間は、クリの花のにおいの立ち込める

  夕まぐれのことだった。

  「あたりは、まだ、夕べの光がかすかにただよっていた。
  見上げると、その匂いのもとは、私の踏み込んだ林の
  暗い梢から、白い房のように垂れ下がっている栗の花だった。
  私は、そのふしぎな匂いの中にまよいこんだ」

  彼は、そこで、クリの木の下で絡まりあう男女に出会う。

  彼らは、男10人女7人のキコリの集団だった。

  なんと、彼らは、九州の肥後からやってきたのだという。

  藤森栄一の洞察力のすごさは、ここからである。

  彼は、この思い出から、遠く縄文人の性のバイオリズムに

  思いをいたす。

  「栗の花は男の精、クルミの花は女の精の匂いがする。
  女たちは栗の花の花粉の舞う草原で力いっぱいからみあい、
  噛んだりわめいたりして、受精する」

  「クリとクルミの木に囲まれて生きていた中期縄文人、
  クリの花咲くころ、彼らの性が強く刺激されたとすれば、
  女は夏の端境期は食欲が減退しても、
  秋の実り、冬の狩猟と、妊婦の食欲は頂上に達して、
  休養期のあける四月が、格好な出産期となる。
  とすれば、美しい明るい沢にのぞんだ、クリやクルミの
  林の下草の中に、愛の場があったとしたらどうだろうか」

  藤森栄一の飛翔する想像力に、めまいを感じながら、

  次のことは確実に言えそうだ。

  少なくとも、戦前あるいは戦後の一時期まで、

  縄文人の存在を強く強く感じさせる集団が、日本列島の

  山の尾根を行き来していた可能性があるのだ。

  今かれらの姿は、太古の森の奥に掻き消えたかに見える。

  でもそれは、本当だろうか。

  日本列島のどこかにその面影をとどめてはいないか。

  

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by kitanojomonjin | 2005-03-03 12:46 | 縄文 | Comments(3)


  不思議な話を聞いた。

  ある学者が、縄文時代にさかのぼるかもしれない

  石笛の演奏を聴いた。

  その夜、一晩中、耳元で女性のささやきが続いて

  とまらなかったという。

  当の学者は、次のように、分析する。

  石笛は、人間の耳には聞こえない高周波を出す。

  その高周波が悪さをしたのだろうという。

  それでも、疑問はつきない。

  縄文人は、それを承知で、石笛を演奏していたと

  考えられないか。

  何のために?

  人の耳に聞こえない高周波で、縄文人は何をしようとしたのか。

  神との交信のためか、

  あるいは、宇宙との交流のためか。

  学者の話では、石笛が縄文時代の楽器だった可能性は50パーセントだという。

  だが、縄文人のけはいを強く強く感じ取られる話である。
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この中に縄文人の石笛が含まれているのだろうか?
(写真提供 NPO法人 三内丸縄文発信の会)
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by kitanojomonjin | 2005-03-02 11:30 | 縄文 | Comments(0)

  
  遺跡は、すっぽり雪の中。

  冬は、縄文人にとって聖なる季節とか。

  夏とは、打って変わり、冬は静寂と内省の季節である。

  雪の中で、縄文人は何を思い、永遠の眠りについているのか。

  何とかして、縄文人のけはいを感じ取りたい。

  永年そう思い続けてきた。

  21世紀の現代に生きるわれわれにとって、

  縄文人のけはいを感じ取る手立ては、あるのだろうか。

  ドリームタイムとは、「夢の時間」。

  オーストラリアのアボリジニの人々にとっては、特別の意味があったらしい。

  (そのことについては、いずれゆっくり)

  ドリームタイムとは、ここでは、「縄文人を夢見る時間」とでもしておこう。

  どこまで行けるかわからないが、ひとまず太古の縄文人のけはいを追い求め、

  縄文ドリームタイム日記を始めることにしたい。 
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(写真提供 NPO法人 三内丸山縄文発信の会)

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by kitanojomonjin | 2005-03-01 16:21 | 縄文 | Comments(2)