カテゴリ:人生( 287 )

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引越しをした。

なじみの野川ともお別れ。

カワセミ・サギ・ウなどさまざまの鳥と出会えた野川。

なによりも春の美しい桜並木ともお別れである。

振り返ると、この30年あまり、12回引越しをしている。

2年半ごとに、転居していることになる。

淺川マキの歌が聞こえてきそうだ。

「夜が明けたら、一番列車にのって、この街を出て行く。」

でも、今回は引越し先は、すぐ近く。

新しい街に住む。

そこにどんな出来事が待ち構えているか。

そんな期待に引きずられて、引越しを

繰り返してきた。

いつまでたっても、そのわくわく感は変わらない。



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by kitanojomonjin | 2006-11-26 19:33 | 人生 | Comments(0)

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「異郷の季節」という本を読んでいる。

みすず書房から、1986年に出た本。

著者はサルトル研究の仏文学者。

フランス滞在時代の思い出を書いたエッセイ集だが、

なかなかいい味の文章である。

なかでも、「書物を流れる歳月」は、圧巻。

パリの国立図書館に通っていた頃、

其処で出会ったユニークな人々について

触れている。

腰巻の萩原延壽氏の評が、見事にこのエッセイの

面白味を活写している。

「敦煌文書の解読にいそしむ老中国人、

モスクワ裁判の究明に執念をもやす老アナキスト、

かれらとの一期一会のゆかりを著者は感動的な

筆致で語っているが、われわれが「精神の共和国」の

存在にかすかな希望をつなぎうるのは、かかるしめやかな

友情の姿に接したときであろう。」

このほか、パリのセーヌ河をはさんで、右岸と左岸の

違いを次のように見事に表現している。

「以前は、もう少し右岸は右岸らしく、

左岸は左岸らしかったのであって、

敢えてその特徴の一面を強引に拡大して抜き出してみれば、

右岸にはお金と生活があり、

左岸には空想と観念があった、とでも言ったらよいだろうか。」

なるほど。

ときあたかも、左岸で、五月革命が火を吹いた頃だという。

それにしても、読めば読むほど、この著者は

只者で無いような気がする。


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by kitanojomonjin | 2006-09-28 10:07 | 人生 | Comments(0)

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「遅番記者」というミステリーを読んでいる。

「遅番記者」とはなにか?

小説の中で、こんな説明がされている。

「遅くまでいて、みんなが帰ってからもちあがることを
扱うんだ。
たいていは遅くに入ってきた訃報に天気予報、
火事に発砲事件。
そんなところだな」

レイトマンというらしい。

どちらかというと閑職である。

いささかくたびれたこの新聞記者と

妻に逃げられた刑事が、コンビを組んで

連続殺人事件を追う。

例によって、半分まで読み進んでも、皆目

犯人の目星はつかない。

缶ビールを飲みながら語り合う

記者と刑事の孤独な境遇はなぜか似ていた。

「年をとり、哀れな老人になって、ツナ缶や

ファストフードで食いつなぎ、ビール腹になり、

服に穴があいていても気にしないようになった

自分を想像して、一種絶望的な気持ちに

なることがあった。

そんなふうにひとりぼっちで終わる警官の多くが、

ピストルの銃口をくわえることになるのだ。」

こんなくだりもある。

「まずいことになりそうだということもわかっていた。

それに対してどうしていいかわからなかったが、

いったんことが始まるとあれよあれよという間に

情況が変わっていく。」

このたゆたう感じが、全編を貫く基調トーンに

なっている。

一体出口はあるのだろうか。

しばらくは、このけだるい感じに付き合ってみようか。


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by kitanojomonjin | 2006-07-27 11:07 | 人生 | Comments(0)

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(ブロギニストの散歩道から)

「病状六尺」の中で、正岡子規は、次のように
記している。

「余は今まで禅宗のいはゆる悟りという事を

誤解していた。

悟りという事はいかなる場合にも平気で

死ぬる事かと思っていたのは間違ひで、

悟りという事はいかなる場合でも

平気で生きることであった。」

歌人正岡子規は、35歳で無くなる。

また35歳かと思った。

最近、俳優の山本耕史くんと話す機会があった。

彼は今年30歳。

そして、彼の関心のある人物は、みな35歳で

生涯を閉じている。

土方歳三しかり。

モーツァルトしかり。

やたら35歳が気になっていた時に、正岡子規も

35歳で亡くなったと知って、愕然とした。

男の人生にとって、35歳とは何なんだろう。

それまで青春の延長で、そこから生まれ変わる

境目なのだろうか。

ふしぎな符号である。


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by kitanojomonjin | 2006-07-26 20:10 | 人生 | Comments(0)

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(ブロギニストの散歩道から)

宮本輝に「ひとたびポプラに臥す」という紀行がある。

息子と一緒に、ひたすらシルクロードを西に向かう。

お腹を壊しながら、ぶつぶつ不平を言いながら

ひたすらシルクロードを歩く。

その中に、印象的な言葉がある。

  日本の殺伐としたシステムと生活にあって、

  私たち多くのものを失いつづけているが、

  「静かに深く考える時間」

  「深く静かに感じる時間」の喪失は

  極めて重要な問題だと思う。

あわただしく過ごして何かを確実に見失なっている現代。

旅、特にアジアの旅に出ると、有り余る時間の中で、

いやでも応でも、人生を考えざるを得ない。


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by kitanojomonjin | 2006-07-25 16:54 | 人生 | Comments(0)

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(ブロギニストの散歩道から)

今朝のラジオで、「にもかかわらず笑うこと」という
話を聞いた。

上智大学のアルフォン・デーケン教授が、最終講義で
いった言葉だという。

  ユーモアとは、「にもかかわらず」笑うこと。

  辛いことや悲しいことがあっても、

  「にもかかわらず」

  それも相手への思いやりとして、笑顔で接する
  
  態度こそ成熟した真のユーモアだというのである。

こんな言い方もしている。

  人は元気だからユーモアが出るのではなく、

  ユーモアが出るから元気なのである。

味わいのある言葉である。


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by kitanojomonjin | 2006-07-20 19:53 | 人生 | Comments(0)

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先日、ラジオで、落語の「文七元結(もっとい)」の
話をしていた。

暮れの28日、吾妻橋を通りかかった長兵衛は、
まさに、身投げをしようとしていた文七を思いとどまらせる。

そのときのくどきは、「志ん生人情ばなし」によると
こんな具合である。

「人間てえ奴ァな、寿命のあるのをわざわざ縮めるッてえのは、
神にすまねえ。」

「な、人の命てえのはそんなもんじゃねえや。」

そういって、娘が吉原で身請けして作った50両という
大金を文七に渡す。

この後、文七の無くした50両も見つかり
めでたしめでたしの人情落語である。

ラジオで、指摘していたのは、この落語に貫かれている
「人間死んだらおしまい」という素朴な精神であった。

この落語は、明治初期、三遊亭円朝が流行させた
ものだという。

江戸から明治に替わり、人々のこころが揺れていたとき、
人間にとって最も大切のものは何かー

三遊亭円朝なりに考えた結論が、
この人情話なのかもしれない。


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by kitanojomonjin | 2006-06-03 13:33 | 人生 | Comments(0)