寧々と淀殿 2007年8月23日

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司馬遼太郎短篇全集の10巻を読み終わった。

豊臣家の人々の中の寧々の回が、圧巻である。

世の中にいろいろライバルはいるが、秀吉をめぐる

北の政所・寧々と淀殿のふたりの女性のさやあてもすさまじい。

「関が原ノ役がすみ、数年を経た慶長十年(1605)年、

(寧々は)「寺がほしい」

と、家康に孝蔵主をして諮(はか)らせた。

家康は大いにその意思を重んじ、

京の東山山麓に壮麗な寺院を造営させた。

高台寺がそれである。」

そういうことなのか。

今まで知らずに何度か高台寺を訪ねたが、

その丸みを帯びた雰囲気は独特のものがあった。

大阪城が落ち、淀殿母子が死んだのは、

高台寺に寧々が移ってから10年後のことであった。


司馬さんは、寧々の人生をこのように活写している。

「彼女は、秀吉とともに豊臣家という作品をつくり、

秀吉の死とともにみずから刃物をぬいて

その根を断ち切った。」


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by kitanojomonjin | 2007-08-23 14:20 | 人生 | Comments(0)