先日、鯵ヶ沢に行って、「備前屋長兵衛月永家跡地」の碑を
見てきた。
ニュースで、この碑の裏面に新しく、由緒書きを付け加えたということを
知ったためである。
その由緒書きは、実に興味深い。
こんなぐあいである。
「初代月永長兵衛は、讃岐国(香川県)高松に生まれ、
備前国(岡山県)を経て、承応年間(1652~1655)頃に
鯵ヶ沢に移り住んだ。
一族は代々備前屋長兵衛(略して備長)を名乗り、
北陸地方の北前船との交易や海運業、金融業などを営み、
豪商として繁盛した。西海岸地方で屈指の大地主であった。」
港町鯵ヶ沢が、江戸・北前船の時代にいかに繁栄したかが
わかる。
まさに、鯵ヶ沢の底ぢからを示す証拠である。
白八幡宮大祭が、300年以上の長きにわたって続いているのも、うなずける。