司馬さんの沖縄への思い 2015年8月12日

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「何度か那覇にきたが、この町で、

平静な気持ちで夜をすごせたことがない。」

作家・司馬遼太郎さんの街道をゆくの

「沖縄・先島への道」の1節である。

それは、沖縄戦の記憶による。

「沖縄戦において、日本軍は首里を複郭陣地としたため、

ここで凄惨な最終決戦がおこなわれ、このため、

兵も石垣も樹も建造物もこなごなに砕かれた。

この戦いでは住民のほとんどが家をうしない、

約15万人の県民が死んだ。

沖縄について物を考えるとき、つねにこのことに到ると、

自分が生きていることが罪であるような物憂さが襲ってきて、

頭のなかが白っぽくなってしまい、つねにそうだが、

今もどうにもならない。」

司馬さんは、戦時中、

米軍が上陸するかもしれない九十九里浜や厚木の湿地帯にやらされたという。

「500万の住民が居住している関東平野に米軍が上陸した場合」を

想定していた。

「その事態が、50万の住民の住む沖縄本島でおこってしまった」のである。

しかもその現実は、悪魔の想像力でも及ばないほどに悲惨なものになった。

戦中派の万感の思いをこめて、司馬さんは書いている。

「条件でいえば、関東平野だけでなく、上陸地として予想されていた

中部地方の沿岸や南九州の沿岸においても、かわらない。

沖縄は、身代わりになった。」

沖縄の問題は、けっして、遠い問題ではないことを

痛感させられる。


ちなみに、あす13日(木)よる8時から、

沖縄戦の戦場の行政官のはなしが放送される。

“命どぅ宝” 沖縄県知事 島田叡からの伝言 
   8月13日(木)20:00~21:00 BSプレミアム

(再放送は、20日(木)あさ8時から、BSプレミアム)


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by kitanojomonjin | 2015-08-12 16:09 | この国のかたち | Comments(0)