それが高倉健という男ではないのか 2014年12月15日

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先日、高倉健の追悼番組を

ラジオでやっていた。

高倉健が以前、ラジオでひとり語りした

肉声が紹介されていた。

ニッポン放送の「旅の途中で」という番組を

担当していたのだ。

知らなかった。

彼が、落ち込んだとき必ず読み返す文章が

あるという。

作家丸山健二の

「それが高倉健という男ではないのか」という文章だ。


『何もかも、きちんとやってのけたいと思い、

これまで常にそうしてきたのは、

映画を愛していたからではなく、

あるいは役者稼業に惚れ込んでいたせいでもなく、

ただ、それが仕事であり、それでメシを食ってきたというだけの理由に過ぎない。


だから、出来ることならファンと称する大勢の他人に囲まれたり、

カメラの前で、心にもない表情を作ったり、

ややこしい人間関係のまっただ中に身を置いたりしたくはないのだ。


それが高倉健という男ではないのか。』


こんな調子で、「それが高倉健という男ではないのか」と

延々とくりかえされる。

でも、やっぱり、ラストの1節が

こころにしみる。


『暗くて重くて、正しくて、

強い一匹狼のイメージは、

いつしか敬遠されるようになった。

そうした主人公に憧れ、血の騒ぎを覚える男は、

減るばかりだ。

時代はますます軽くて薄い方向へと傾いている。

その日その日を、チマチマとこすっからく、

目先の欲に振り回されて、

弱くてだらしない男たちが

「普通で良いんだよ。自然に生きたいのさ。

等身大の生き様がしたいんだ」

と小賢しい言葉の上で、あぐらをかいている。

その中にあって彼は、

男であり続けたいと願い、

役者をしながらその姿勢を崩そうとしない。


それが高倉健ではないのか。』


なぜか映画「八甲田山」のラストシーンの高倉健を

思い出した。

弘前連隊の部下に号令をかける。

「軍歌 雪の進軍 はじめ!」

うしろには、雪の岩木山がそびえていた。

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by kitanojomonjin | 2014-12-15 13:17 | 人生 | Comments(0)