岩木山・名山名士を出だす・司馬さんからの宿題  2005年7月19日

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(弘前の街から望む岩木山)

1994年、作家司馬遼太郎さんが、街道をゆくの
取材で、津軽を訪れた時、たまたま津軽を案内する
機会があった。

その年の1月、雪の青森のグランドホテルで、司馬さんと
お目にかかったとき、最初に出たのが、陸羯南の漢詩の
話だった。

「名山名士を出だす
此語久しく相伝う
試みに問う巌城の下
誰人か天下の賢」

弘前高校時代、いつもS先生がこの詩を披露し、
ぐるりと見渡して、
「名山名士を出だすというが、いまだに名士が出ていない。
諸君奮起せよ」
と発破をかけられましたと報告したら、司馬さんは
そうですかとうれしそうに聞いておられた。

明治の言論人・陸羯南(くが・かつなん)が、こんな
形でふるさと弘前で語り継がれていることを
うれしく思われたのだろう。

司馬さんほど、明治の言論人陸羯南を高く評価した
方はいない。
津軽路の旅で、太宰治の次に登場したのが、陸羯南の
話だった。

新聞「日本」の主宰者だった陸羯南は、正岡子規を
終生面倒みた人物としても知られている。
子規は、陸羯南を徳の人とたたえ、尊敬していた。
病気で激痛に悩まされた子規を陸羯南は、つきそい
励ました。
徳のある人に、手を握ってもらうと痛みも和らぐと、
子規は、手紙に記している。

司馬さんは、ここまで話すと、決まって身を乗り出して、
「このような徳の人・陸羯南の魅力をしっかり描いたものは
まだない。
それは、あなたたちの仕事ではないですか」
といわれた。

とにかく、陸羯南の周りには、彼を信奉する人々の輪が、
出来ていたという。

明治の言論人陸羯南の魅力を改めて、浮き彫りにすること
それが、司馬さんから託された宿題である。

まだまだ、その実現には時間がかかりそうであるが。



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by kitanojomonjin | 2005-07-19 14:10 | 司馬遼太郎さんの津軽路 | Comments(0)