内藤湖南への旅 2011年12月24日
2011年 12月 24日粕谷一希の「内藤湖南への旅」を
読んだ。
稀代の中国学者・内藤湖南の郷里は
十和田湖畔、毛馬内(現・十和田町)であった。
湖南とは、十和田湖の南からとった号だという。
湖南は、前から気になっていた人物である。
こんなくだりが、面白かった。
「湖南の陽性な社交好きは、
湖南の生涯と業績を振り返る際に、
楽しさを倍化させる性格を持っている。」
湖南は、晩年、関西の山荘に引きこもった。
湖南は、関西本線の加茂駅を
降りて歩いてくる人々を山荘の二階から
望遠鏡で観察し、何時ころ、
誰がやってくるといってソワソワしていたという。
このエピソードから、実に、愛すべき湖南の
人となりがわかる。
この湖南が、高橋健三の秘書を勤めていた。
この高橋という傑物を通じて、陸羯南とも
交友があった。
残念ながら、湖南と羯南との間の直接のエピソードには、
いまだめぐり合っていない。
でも、同じ東北人で、人懐こい湖南と、
話好きの羯南の間には、濃い交流が
会ったはずにちがいないのだが。
お読みいただいた記念にランキングをクリックしてください。
人気blogランキングへ