加藤惣平写真集「遥かなる津軽」 2005年5月5日
2005年 05月 04日弘前公園の桜は、満開を迎えたという。
この季節になると、このころ亡くなった写真家加藤惣平の
ことを思い出す。
写真家土田ヒロミにとって、津軽はスタートラインであった
とすれば、加藤惣平にとって、津軽は終着駅であった。
横浜生まれの加藤惣平は、1983年64歳で、法務省を
定年退職した。それから10年間、亡くなるまで津軽に
通い、写真を撮り続けた。
今手元に、彼の遺作集となった写真集「遥かなる津軽」が
ある。
いったい加藤惣平を津軽に駆り立てたものは何か。
11年前、彼の死の翌年取材したことがあるが、いまだに
本当のところはよくわからない。
本人も、津軽の友人にあてた手紙に書いている。
「結局自分でもよくわからない。自分探しの旅なのかも
しれない」という意味のことを。
加藤惣平の写した写真は、もっぱら地元の人もあまり
行かない寺や神社だった。そこに打ち捨てられた人形が
ぽつんと写っている。
写真集に、加藤惣平の一文が載っている。
「津軽の写真を撮りたくて、津軽に通い始めて既に八年になる。
この八年間、私は一日たりとも津軽を思わなかったことは
ない。津軽はもはや私の「もうひとつの故郷」だ。
その故郷にやって来ても、まだ故郷を探して、津軽を
さすらっている。」
それは、ひとつの巡礼ではなかったのか。
その言葉が、晩年の彼のひたむきな旅にふさわしいような
気がする。
そして、彼が津軽で見たものは、何だったのだろう。
お読みいただいた記念にランキングをクリックしてください。
人気blogランキングへ