一日だけの夜桜・とうとう見ました 2005年4月11日
2005年 04月 11日それは、今まで見たどの夜桜とも違っていた。
普通、夜桜というと、ボンボリのイメージで、照明も
その延長線上にある。まず、光源を隠す。次に、
桜の木に光の濃淡をつけ、風情を出そうとする。
ところが、東京郊外の野川の夜桜は、この予想とは、
ことごとく違っていた。
野川は、せいぜい4~5メートルの流れの両端に、
わずかな緑地が続き、さらに、その両側に細い歩道が
走っている。桜は、その歩道沿いに植えられている。
そのすぐ脇まで、びっしりと住宅が迫っている。
照明は、流れの両側に、堂々と配置され、フットライトの
ように、真下から、桜を照らし出していた。
しかも、その光量は、尋常なものでなかった。桜の木の
てっぺんまで照らし出している。
路行く人のことばが、耳にはいる。
「まるで、ふつうの桜と違うみたい」
「ディズニーランドみたい」
このことばは、一面を言い当てている。
それは、光のパフォーマンスであり、ひとつの自然のショー
なのだ。
人々は、一方通行の川沿いの歩道をとおり、川をさかのぼり、
橋をわたり、反対側を通ってもどってくる。この一方通行で
囲まれた、川の区画が、光のパフォーマンスの舞台になっている。
照明が、光の噴水のように両脇の桜を照らし出す。
観客は、はじめ照らし出された桜に、眼を奪われる。
そして、次第に、主役は、桜そのものではないことに気付く。
光の噴水は、野川の水面を照らし出している。
その鏡となった水面の中に、満開の桜が咲き誇る、もうひとつの
幻想の世界が広がっている。この光のパフォーマンスの真の
主役は、野川という川そのものなのだ。
野川の桜については、かねがね不思議に思うことがあった。
住宅地が迫り、根元は、アスファルトに覆われているのに、
樹齢30年以上の桜が、衰えを見せていない。その答えは、
すべて野川の実力によるものではないだろうか。
いまも、カワセミが巣をつくり、渡り鳥がやってくる数少ない川・
それが野川である。
「野川よ。2005年春、たしかに、あなたの底力を
見届けました。」
そう声をかけてやりたい衝動にかられる。
自然が、年に1回その実力を確かめる瞬間、
それが、この一夜の夜桜の本当の意味なのかもしれない。
いずれにしても、強烈な光の世界が、今も眼の底に
焼きついて離れない。
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