土偶・女神の旅 2005年3月31日
2005年 03月 30日大型板状土偶は、三内丸山遺跡から出土した他の
土偶にくらべて、大きさといい造形といい、ひときわ
異彩を放っている。これは、どう受け止めたらいいのか。
国立民族学博物館の名誉教授小山修三さんは、ずばり
大型板状土偶をもって、土偶はお守りから、
女神に変わったという。
その根拠として、板状土偶の両耳にある穴を挙げる。
そこに、ひもを通して、壁にかけるようになったのだという。
[写真提供 NPO法人 三内丸山縄文発信の会)
おそらく、お守りから女神になった土偶は、
個人や家庭の場を離れ、集団の場で、祈りの対象となり、
あるいは、独特の儀式が営まれたのではないだろうか。
そこで、どんな祈りがささげられ、どんな儀式が
くりひろげられたのか。
それを知るには、次のことが解き明かされる必要がある。
板状土偶の首と胴体が別々に出土している意味は?
さらに、板状土偶の口から垂直に穴が開いていることの
意味合いは何か?これらの不思議が明らかにできれば、
より縄文人のこころに迫ることが、できるのではないだろうか。
さらに、小山さんは、「女神の旅」ということを示唆した。
「縄文時代の土偶に根本的に流れているのは、
胸とお尻の強調にあきらかな女性だと思います。
このような母親をイメージさせる、ある種の
まがまがしさも含んだ女神像が、旧石器時代に
ヨーロッパで立ち上がり、歩み始め、シベリアを
とおって、日本に入ってきたと系譜的にたどることが
可能です。女神が東に向かって進み、日本に
たどりついたとみるわけです。」
現生人類ホモサピエンスの移動とともに、ユーラシヤ各地に
固有の女神が誕生していく。それを「女神の旅」とみなして、
ユーラシアの果ての日本列島までたどっていく。
なんと、スケールの大きいロマンに溢れた物語だろう。
いつかこの構想を、映像かイベントで実現したいものである。
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